宗家十一世道鑑
仙台藩茶道石州流清水派宗家
十一世 大泉道鑑


ご挨拶


時下益々ご清栄の事とお慶び申し上げます。

石州流茶道は、大和国小泉の城主の片桐 石見 いわみ 守貞昌(石州)公により、始められた流儀であります。石州公は、四代将軍徳川家綱公の茶道師範を命ぜられ、将軍家の茶道の規格を定めました。これが世に有名な「石州流三百箇條」と称されていますが、以後石州流はこれを基本にして、将軍家は勿論の事、仙台藩を初め諸大名の茶道(大名茶)として、天下を風靡したと言われています。

一方、これに先だち仙台藩では藩祖伊達政宗公によって、二代将軍徳川秀忠公に茶道の指南を行った古田織部公の高弟の一世清水道閑は、京都から仙台藩の初代の茶道頭に招かれ、さらに二代藩主伊達忠宗公の命により二世清水動閑は、石州公の許で十三年間修業を積んだ後、茶道頭に任ぜられました。その後、四代藩主伊達綱村公の命により、二世動閑の実子の清水快閑ではなく一門のなかで最も傑出けっしゅつしていた馬場道斎(後の清水道竿)が、任命されました。三世道竿は、綱村公及び五代藩主伊達吉村公の茶道指南役と言う重責を果たしつつ、さらに創意工夫を凝こらして芸術性を高めた石州流清水派(当流)を藩内に確立させるとともに、それを全国各藩に広めました(石州流清水派の系譜参照)。これ以降、当流は仙台藩の正式な流儀として、藩の手厚い庇護のもとに発展を遂げ、明治維新以後もそれを継承した歴代の宗家に連綿として受け継がれて、今日に至っております。

さて、仙台藩に縁の深い私共が最も誇りとしている伊達文化は、政宗公の業績に端を発しているため、あの有名な「 伊達者 だてもの 」と言う言葉通り、格好良い洗練された美を追い求め続けた結果、「芸術性の高い美しさ」が伝統として、この文化に深く根付事になったと言えましょう。この高度な伊達文化を代表する当流は、藩政時代の歴代の茶道頭が、長い時間を掛けて磨き上げて、遂に完成したこの上もなく優美で洗練された茶道(お手前)であります。この様な当流を正しく後世に伝えたいと言う茶道頭達の強い意志が尊重され、江戸時代の流儀のまま変わる事なく現在まで伝えられて来ました。従って、当流は伊達文化の特色を最も色濃く現代に伝えられて来た、数少ない貴重な芸術・文化遺産であると言っても、過言ではないでしょう。そもそも当流は、代表的な大名茶のひとつであり、仙台藩主のための茶道でした。皆様にはぜひ藩主が関わった茶の湯を偲びつつ、大名気分に浸りながら心行くまでに堪能して頂ければ、誠に意義深い事と存じます。

ところで、我国は戦後欧米から多種多様な技術と文化を導入し、全世界が瞠目する程短期間のうちに驚異的な経済発展を遂げ、世界有数の経済大国と成る事に成功しました。しかしながら、その反面日本固有の精神文化の退潮を来し、それに起因すると思われる社会問題が多発する様になりました。そのため、日本の精神文化を代表する茶道が見直され、その社会的役割の重要性が再認識されております。そこで、私共は日頃の地道な茶道の活動を通して、この様な時代の要請に少しでも応えるべく、努力して参る所存です。

今まで述べた様な古い歴史と輝かしき伝統のある当流を、私共は忠実に継承し、さらに発展すべく、微力ながら身を粉にして努力する決意であります。それが歴代の仙台藩主並びに当流の茶道頭・宗家のご恩に報いる唯一の道であると信じて疑いません。

皆様が茶道におかれまして益々活躍される事を心からお祈り申し上げ、ご挨拶とさせて頂きます。


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